モノは、まあ諦めたとしても、オカネが、必要だと思っている。
モノを買うためのオカネではない。
自分が好きに生きるためのオ
冷凍甩脂カネである。
オカネが不足しているとすると、オカネに合わせて自分の生き方を調節しなければいけない。
しかし、普通、一般の人は、そういう生活である。
わたしもいたって普通の庶民なのだが、どこか、なにか、意識が欠如している。
オカネのかからない生活に、満足感を 感じるような、そういう嗜好に変えていけばいいのだろう。
外食はやめ、菜園を耕し、暴飲暴食は控え、モノは最低必要限度のものしか買わず、
オカネのかかる付き合いは、やめ、極力エコ精神を貫き、無駄は、やめ???etc???。
???
この中で、どれが耐えられない?
べつにこれといって、ぜひ、やりたいことがあるわけではない。
なにかの分野で贅沢を極めたいわけではない。
近未来に、自分がなにかの欲求、あ
Pretty Renew 冷靜期るいは必要が生じた時に、
ある程度、その欲求、必要に沿えるよう、予備として蓄えがあると、安心を得られる。
ただ、それだけだ。
いたって、平凡で普通でつまらない、一般的な答えかも知れない。
夢というほどのものはなく、安心して暮らしたい、という、まったく守りの構え、姿勢になっている。
文字にしてみて、あまりの凡庸ぶりに、自分で落胆した。
しかし、明日ならぬ、今日の安心も得られ人々もいる。
苦しんでいる人々がいる。
世の中は、広い。
あまりにも、わたしの意識は、自分の高台からしか景色を見ず、高飛車で、けしからん。
???
しかし、しかし???
マザー?テレサのごとく、立派なことを書いていると、マザー?テレサのような崇高な人間でないわたしは、
自分のダメぶりを自覚するだけになり、かえってストレスが溜まる。
せっかく楽しく満足して暮らしているのに、ストレスを溜める発想法は、今のわたしにとっては益がない。
たとえ、自己チューといわれようが、人を攻撃もせず、攻撃もされず、責めず、責められず、
無益、人畜無害路線で、自分の小さな幸福を守ろうと、思っている次第である。
それを「せこいね」、と、言われても仕方がない。
もともとは、負け犬ですので。