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そーじゃないの

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そーじゃないの


ただし、判断を誤っては、つまらない。
徒労に終わる人生など、誰もが送りたくはないはず。

たとえば???
人の持っているもので、自分が持っていないもの???
つい比べてしまう。
あたりまえだと思う。

あーあ、あの人は、あーなのに、わたしは、なんで

人は人???と、思いたくても、なかなか思えない。
まして、目の前にいたり、毎日、顔を会わせていたりすると、
こころの中からおっ払おうったって、まとわりついてくるだろう。
そういう負の感情が積み重なると、こころの中で、溜まりに溜まって、えらいことになる。

距離感、風通しが必要。
特定の人の、すべてを把握したり、知ったりしようとしないこと。
表面に現れているのは、ごく一部であるということ。
目に見えない部分で、とても努力していたりする。
あるいは、人に言えない不幸な面があったりする。

野球の選手に、美術や、音楽の才能は問われないだろう。
大学教授に、スポーツの資質は求められないだろう。
自分の持っている、なにか長所を見過ごして、短所ばかりに日を当ててもしかたない。
どうしても短所が気になるのなら、少しずつ、自分が納得できるまで、克服できるまで頑張るしかない。

それが、埋めようの無い才能や資質の違いであったり、経済的な違いであったりしたなら、
ないものを欲しがって、不幸になるのは、ばからしい。
あるものを伸ばす方向に頑張るほうが、ずっと楽しいし、やりがいがある。
たとえ、取るに足らないようなレベルであっても、だ。


わたしは、卑怯である。
自分と同じような位置にいる人と、実生活において、深く付き合おうとしない。
競争心、ライバル心、劣等感が芽生えて、平常心が乱れる。
(めんどくさがりでもある)
付き合うとすると、うーーんと離れて、糸電話で話すかのごとくの、付き合いかたをする。
しかし、なんの説明もしなくても、同じような位置にいる人とは、通じるものがある。
それはそれで心地よい。

あの人が頑張っている、わたしも???
と、よい意味のライバル心は、おおいに結構だ。


手が届きそうもないような、たいそう素晴らしいと感じていたことも、
目が慣れてきたり、自分が変わると、見方も変わる。
ある日、それほどでもない、と感じる。
逆に、まったく取るに足らないこと、当たり前のことだと感じていたことも、
見る目を変えると、それはそれは大変な、不断の苦労の賜物だったりすることに気付く。


と、ぐたぐたと、具体性のないことを綴ってみた。

こころ穏やかに、
でも、じぶんのこころは、どこか、ぴんと張る部分をもって、
つつがなく暮らしたい。

(こういう表現、高齢の澄んだ方のエッセーにあるような、
なんだか、人生を達観した、お迎えがいつ来ても怖くない、80代後半のように捉えられそうだ???)

と書きつつ???
諸々の煩悩と闘う毎日である。
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